@article{oai:fukuchiyama.repo.nii.ac.jp:00000335, author = {荻, 大陸}, issue = {1}, journal = {成美大学紀要}, month = {Mar}, note = {1960年ころまでの日本の農山村は農林業が安定した生計基盤を形成し基幹産業としての役割を果たしていた。すなわち養蚕、薪炭、焼畑、牛馬が生計の主要な柱となり、特に前二者は農林業を代表する産品を生産するものとして、農山村を重要な産業基地たらしめていた。ところが高度経済成長がもたらした「生活革命」はこれらふるくからの農山村の生計基盤を悉く喪失させただけでなく、工業地帯生まれの夥しい量の新規の生活必需品の購入を農山村に迫るものだった。農山村は販売するものを失ういっぽう購入するものばかりが急増し、農山村の経済は一転して赤字構造に陥った。かくして過疎は始まったのである。高度経済成長は「一億総中流」といわれる格差なき国民生活の向上をもたらした。しかし、そ の内実は農山村から都市部へと人口を流動・集中させることによる所得向上の達成であった 。過疎は格差なき生活水準の向上のいわば代償といってよい。, 2}, pages = {11--20}, title = {過疎はなぜ起きたのか}, volume = {5}, year = {2015}, yomi = {オギ, タムツ} }